聖地恐山とそこに引き寄せられるイタコ

恐山とイタコ

恐山とイタコ

人は死ねば恐山に行く―――。そう伝えられている霊山、それが恐山です。この世とあの世の境界としてそびえるこの山に、ひとたび足を踏み入れれば、そこに漂う異境の風を感じることができるでしょう。日本三大霊山のひとつで、強力な霊気を放っています。地獄と呼ばれる荒涼とした火山岩の連なみ、立ち込める硫黄の匂い、その中で異彩を放つ、極彩色の風車。これは亡くなった子供を供養するためのものです。石像のお地蔵様が、その様子を見守っています。そして、極楽浜の名で呼ばれる火山湖の、この世のものとは思えない澄んだ輝き。その浜辺にも、子供の玩具やお菓子が散らばっています。やはり亡くなった子供たちのための供養の品々です。

恐山は青森県の下北半島にあります。ここはイタコの文化が色濃く形成されてきた地でもあります。死者の住まう恐山の麓で、死者の霊を呼び出す霊媒師であるイタコ文化が栄えたのは、偶然ではないでしょう。

恐山のイタコ鑑定

恐山には常にイタコが多数いて、修行の日々をおくっている……。そうイメージしている人も多いのではないのでしょうか。恐山とは口寄せの山というイメージが付きまとっています。しかし、恐山に常にイタコが在住しているというのは、実は誤解です。イタコは、東北を中心に各地に点在しており、年に2回あるお祭りの時に集まってきて、イタコマチを形成します。毎年7月に「恐山大祭」が、10月には「恐山秋祀り」がそれに当たります。イタコマチとはテントなどを連ねたもので、中にイタコが待機しており、そこで死者の霊を呼び出し、口寄せを行います。口寄せにも色々な種類があるのは別項で述べましたが、この世とあの世をつなぐ恐山のお祭り期間中は、イタコの口寄せは死者の霊を降ろすことが中心となります。とはいえ、イタコの全てがこのイタコマチに集まるわけではありません。イタコマチに参加するのは、地域ごとにあるイタコの組合が連合してつくる組合に参加しているイタコだけです。高名なイタコや人気占い師として有名なイタコでも、人ごみが苦手だったり、高齢で体力的に厳しかったりする場合は参加しません。

恐山のお祭りはイタコに直接口寄せをしてもらえる、絶好の機会です。しかし、限られた期間であること。組合に参加しているイタコの方はほぼ高齢であり、数が少ないことから、毎年長蛇の列が形成されます。特に人気占い師として名のあるイタコのところには、朝4時くらいから行列は続き、3~4時間待ちであることもざらです。祭りの期間中も恐山の閉門時間に合わせて、イタコも時間になると切り上げてしまうので、せっかく行列に加わっても鑑定してもらえないこともよくあります。予約はできず、当日の順番待ちですので、確実に見てほしい人は、早朝から並ぶ覚悟で訪れた方が良いでしょう。

イタコと恐山の真実

さて、イタコと言えば恐山と言うほど、深い関わりを連想しますが、実は恐山にイタコマチができるようになったのは、昭和になってからのことと言われています。また、イタコマチは恐山だけでなく、別のところでも開かれます(恐山のものが最大ですが)。しかし、恐山がイタコの住むところというイメージは誤りであるものの、現在において、深い関わりがあるのは確かです。それは、恐山のイタコマチが有名になってきた時期が、高度経済成長期であったことと無縁ではありません。地域が解体され、人は心のより心を失っていきました。地域の信仰が力を失い、精神や魂の救済を必要とする人の行き場が急速に減っていったのです。そこに、ラジオ、テレビなどのメディアが登場し、恐山で口寄せをするイタコの姿を伝えるようになりました。それまで、東北という限られた場所でしか知られていなかった恐山やイタコのことが、全国に知られ、救いを求めた人々が恐山に集まるようになったのです。

恐山とイタコの歴史的関係は長くはありませんが、これからはさらに結びつきは強固となるでしょう。人はイタコを求めて恐山に向かうでしょう。特に、これから育つ若いイタコにとっては、恐山はイタコの象徴となるはずです。また、修行の場としても大切な場所です。現在は東北に限らず、全国各地に散らばるイタコですが、死者の集まる霊山、恐山で修行を積むことは、高い霊能力を保持するために必要不可欠なものと語られています。しかし、恐山にいるイタコだけが本物のイタコで、それ以外は偽物だということは誤解であることを知っていただきたいと思います。

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